2013アートセミナー報告
   

 
 元神戸女学院中高部教諭で、園田学園女子大学名誉教授の吉村 稠 氏を講師にお迎えし、「向田邦子ワールドの魅力」と題して2回にわたりお話をうかがいました。両日とも50名を超すたくさんの方にお越しいただき、熱心に聴講いただきました。
第一回 「物書き」向田邦子、覚悟と信条 ――さまざまな出会いと転機を糧(肥し)として――

 向田邦子は喜怒哀楽をはっきりと出す、人間味豊かな父と母、弟、二人の妹そして父方の祖母との家族の中で育ち、人とのつき合い方や人間の見方を学んだ。実践女子専門学校を卒業後、就職・転職する中で、進路を常に自問自答していた。
 「私は何をしたいのか」
 「私は何にむいているのか」と・・・。
 他人からの忠告も感謝して素直にまっすぐな気持ちで受け入れる事の出来る人であった。
自立して「物かき」へとすすむ。その中で森繁久弥と出会い、プロデューサーの久世光彦に紹介され師事。
 シナリオライター、向田邦子の誕生であった。


第二回 「小説家 向田邦子」遺言状からの誕生 ――人生の転変、「余命告知」危機を転機として――

 向田邦子の信念は「手袋を探す」(『夜中の薔薇』所収)にみられるように、「自分に妥協はしない。たった一つの私の財産」。納得いくまで妥協はしない。というものである。
 脚本家としての充実した仕事をこなしていた昭和50年に思いもかけぬ「乳ガン」が発症し、手術をした。ガンの再発と死の恐怖にいた中、エッセイ執筆依頼があり、書く決意をする。それは、「TVドラマは何百本書いてもその場で綿菓子のように消えてしまう。」「誰に宛てるともつかない、のんきな遺言状を書いて置こう」と言う思いがあった為である。
 父を中心とした家庭模様を静かに温かくユーモラスに描かれて、好評を得た。
 小説家、向田邦子の誕生である。
 その後、第83回直木賞を「花の名前」で受賞することになる。