「愛神愛隣」が学院の永久標語として制定された時期は不明ですが、
早くから女学院生に浸透していたと思われるエピソードが紹介されました。
そして、「愛神」と「愛隣」の起源、2つの言葉はどのように結びつけられたのか、
旧約聖書から解説して頂きました。
1.申命記における「愛神」の起源
申命記に初めて「神を愛する」と記されています。当時はアッシリアの支配からの
解放と自由への喜びの言葉でした。しかし、律法を中心とする応報思想と神殿を中心
とする宗教体制により、次第に神殿への服従という人々を縛る言葉に変質していきました。
2.詩篇における「愛神」の表現
詩篇は古代エルサレム神殿の賛歌集で、150の宗教詩歌が詠われ、下級祭司であるレビ人が管理をしていました。ここでの「愛神」はいずれも神殿の教義を支えるものとして使われました。
3.旧約聖書に見る「愛神」と「愛隣」の関係
詩篇120篇から134篇は死海写本(紀元前2世紀)にほぼ現在の形で収録されており、
都に上る歌(マァロート詩集)は巡礼者が感動を詠い込んだもので、エルサレム巡礼
の指南書でした。
122:1~7は祭司の言葉ですが、122:8で突然、神殿に無関係な人のために祈り、
125、128でも神殿に来れなかった人のための祈りを滑り込ませています。
ここに、「愛神」の中に蒔かれた「愛隣」の萌芽を見ます。
「愛神愛隣」の淵源
ー 創立150周年を覚えて (全2回)
第1回 学校法人神戸女学院
院長 飯 謙氏
第2回 学校法人神戸女学院大学 大学チャプレン
文学部総合文化学科准教授 大澤 香氏
めぐみ会館にて 13:30~15:00
1回だけでのご参加でも結構です。
お気軽にお申込みください。
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第1回:2025年2月4日(火) 実施済み
旧約時代に見る「愛神」と「愛隣」の思想
第2回:2025年2月25日(火)
イエスとそれ以降の時代における
「愛神愛隣」 |
受講料
各回 1,000円 ※学生無料
当日会場でお支払いください。
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お申し込みは
こちらから
お問い合わせは
めぐみ会事務所まで
第2回 マタイ受難曲
講師 神戸女学院 院長 飯 謙 氏
2024年3月5日(火)
2部・68曲から成るバッハの教会音楽を代表するこの作品は、
1727年4月11日の聖金曜日(受難日)礼拝で初演されました。
講師は、バッハのオラトリオや受難曲が、礼拝の形式を想起させる、
⓵福音史家(聖書朗読)、⓶叙唱(聖書解釈)、⓷アリア(奨励)、
⓸コラール(応答の賛美歌)のまとまりを重ねて構成されていることを例と共に示し、
最後65番のアリアが「(自分の心の中に)イエスを葬ろう」とイエスとの一体化を
語っており、ここから「愛神愛隣」や「志の引き継ぎ」の促しを聞き取りたいと
締め括られました。
第1回 クリスマスオラトリオ
講師 神戸女学院 院長 飯 謙 氏
2023年12月12日(火)
6部・全64曲で構成されるこの作品は、降誕節から顕現日までの6日間の礼拝のために、
聖書からの引用を元に約300年前にバッハが作曲しました。
他の曲を転用するなどの工夫を用いて、2週間で書き上げたそうです。
今回は第3部までを、講師が学生時代にコーラスで演奏会に参加したエピソードを交え、
歌声やピアノも用いて解説いただきました。
「賛美歌から多くを学んだ」というキリスト教信者も多くいるが、
教会歴に対応して信仰の養いを目的として礼拝で演奏する「教会音楽」を作り上げたのは
バッハだ、とのお話でした。
*4年ぶりに、対面のみでの開催としました。
・3月5日(火)は、西門周辺で工事が予定されています。正門からお越しください。
・今年度のキリスト教セミナーは、対面のみで開催いたします。
※録画配信になる場合は、11月以降にホームページでお知らせします。
聖書とバッハの教会音楽
(全2回)
学校法人神戸女学院 院長
飯 謙氏
めぐみ会館にて 13:30~15:00
1回だけでのご参加でも結構です。
お気軽にお申込みください。
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第1回:2023年12月12日(火)
クリスマスオラトリオ
第2回:2024年3月5日(火)
マタイ受難曲 |
受講料
各回 1,000円 ※学生無料
当日会場でお支払いください。
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お問い合わせ・お申込みはめぐみ会事務局まで
こちら
第2回 「パウロから見る原始キリスト教」
講師 神戸女学院大学文学部総合文化学科 准教授 大学チャプレン 大澤 香 氏
日時 動画配信2023年2月21日(火)~3月6日(月)
もともとはユダヤ教の分派であったキリスト教が独自の宗教としてのアイデンティティを確立するに至った過程を歴史の流れに沿って、ご講義いただきました。
民族的宗教であるユダヤ教から分岐したキリスト教が、ユダヤ人の二項対立的他者である異邦人をなぜ受容することができたのか。その理由は、古くはアッシリアによる強制移住と、バビロン捕囚からエルサレム崩壊までの第二神殿時代に地中海世界に離散したユダヤ人ディアスポラ(離散の民)の存在が大きかったとのことです。彼らはギリシャ語を公用語とし、ヘレニズム文化の中で暮らし、異邦人に対して寛大でした。その代表的な人物がパウロです。もともとは教会を迫害する保守的ユダヤ教徒でしたが、イエス・キリストとの出会により、ユダヤ教からキリスト教に回心し、律法を重んじることではなく、福音の核心である信仰と恵を説きました。キリスト没後の3回におよぶパウロによる異邦人伝道の過酷な旅についても、地図をたどりながら、詳しくご解説いただきました。
受講者の皆さまから、大変ご好評いただきました。第1回と第2回、違う角度からのご講義でしたので、皆さまには、多面的にパウロの人物像を学んでいただけたことと思います。
第1回 「パウロはどんな人だったのか?」
講師 神戸女学院 院長 飯 謙 氏
日時 動画配信2023年2月7日(火)20時~2月20日(月)
第1回キリスト教セミナーは「パウロはどんな人だったのか」と題し、パウロが律法を重んじる厳格なファリサイ派からキリスト教に回心した経緯について、新約聖書のフィリピ、ローマ、ガラテヤ、使徒言行録等から歴史的背景や年代を追いつつ、丁寧に分かり易くご講義いただきました。
パウロはローマの市民権を持つヘレニスト・ユダヤ人、厳格な律法の教育を受けたファリサイ派で、律法の義に関しては非の打ちどころがない者と自負し、教会を迫害する側の人物でした。
しかし、ダマスコでのイエス・キリストとの出会いによって、それまでの全てを損失と見なすほどに回心しました。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるという信仰義認論を知るに至ったからです。異邦人もすべて神に許されるという教えです。
この教えをパウロが伝道することによって、キリスト教は世界へと広がり始めたとのことです。
今回も録画配信での開催となりました。東京など遠方の方々も含め、たくさんの方にセミナーを楽しんでいただくことができました。
2021キリスト教セミナー報告
死を考える、いのちを考える
2021年度のキリスト教セミナーは感染症対策として、録画配信のみでの開催となりました。
海外や東京など遠方からも受講していただき、皆さまからご好評いただきました。
第1回 聖書の民の捉えた死とその彼方
講師:神戸女学院 院長 飯 謙氏
録画配信:2022年2月1日~2月14日
旧約聖書のテクストをたどりながら、人々が死とその彼方についてどのように捉えていたか、神様から何を示され、どのように信仰 を深められたかをご講義くださいました。
創世記の天地創造の場面の「あなたは塵だから、塵に帰る」という一節は霊肉一元論、死んだら肉体も魂も消滅するという思想を表しているとのことです。古代の人々の死に対する考え方の一例として、遊牧民であるアブラハムの妻サラの葬り方もそっけないものだったというエピソードをお話くださいました。
また、隣接する文化圏からの影響を受け、レファーム(死者の霊)、レファイーム(冥界、陰府と呼ばれる死者の場所)という新たな認識が生まれたこと、神観が変化し、復活の思想や永遠の命といった観念が生まれたことについてもご解説くださいました。
現代に生きる私たちが死を思うとき、隣人愛をもって生きることがいかに大切であるかということ、そして、キリスト教のもつ死のイメージについて「千の風になって」の背景にある死生観を例に挙げて、語ってくださいました。
第2回 現代人の死生観と儀礼
講師:神戸女学院大学 学長・学院チャプレン 中野 敬一氏
録画配信:2022年2月22日~3月7日
超高齢化社会による弔うことの簡素化という現代日本の身近な問題にはじまり、日本人の死生観と儀礼の変遷について、詳しくご講義くださいました。
『古事記』のイサナギ、イザナミの神話や民間信仰の山中他界、常世の国など、死者の国はそんなに遠くなく現世と行き来できる距離だという「お盆」にも通じる考え方が古代日本には、もともとあったとご解説くださいました。また、仏教の葬送儀礼も交え、キリスト教の死生観についてお話くださいました。プロテスタントでは、「死をみて怖がるよりも復活したキリストに目を向け、神の救いと恵みを見なさい。」という考え方であるとのことです。また、仏教もキリスト教もお葬式や法事には、残された者がゆっくりと時間をかけて死を受け入れるという意味もあるとご教示くださいました。
終わりから今を見る「メメント・モリ」の思想や、悲しみの表出、共同体による慰めの大切さといったグリーフケアについてもふれてくださいました。
撮影風景