2024アートセミナー「神戸女学院 岡田山キャンパスの 過去・現在・未来 ー創立150周年に寄せてー」ご案内
神戸女学院 岡田山キャンパスの |
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第1回 10月9日(水) 実施済み |
神戸女学院 めぐみ会館 |
神戸女学院 岡田山キャンパスの |
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第1回 10月9日(水) 実施済み |
神戸女学院 めぐみ会館 |
1933年に竣工した神戸女学院岡田山キャンパスは、2014年9月に創建時のヴォーリズ建築12棟が国の重要文化財に指定されました。「自然との調和をふまえた合理的なキャンパスで意匠的にも完成度が高く、昭和初期の建物群として価値が高い」、というのが指定された理由です。今回は、このキャンパス造営を導いた3人のアメリカ人について講演されました。
1人目は神戸女学院第5代院長のデフォレスト先生です。山本通から岡田山へ、キャンパス移転時の院長で、手狭になった山本通に代わる理想のキャンパスを求めて、資金集め等に力を尽くされました。
2人目は岡田山キャンパスを設計したヴォーリズ氏です。1934年4月に挙行された新しいキャンパスの献堂式のためにヴォーリズが作詞・作曲した「献堂讃美歌」を聴くと、彼がこの新しい校舎にこめた思いがよくわかります。彼の設計思想はキリスト教に根ざした神戸女学院のリベラルアーツ教育の精神とまさしく合致するものでした。
そして3人目は、新キャンパス造営の大事業を実務的に支えた学院の財務主管で、新校舎の建築委員長を務めた、財務担当宣教師のハケット氏です。
図書館本館にあるらせん階段は「真実に至る道は曲がりくねった階段をのぼるようなものである」という精神を象徴するものとして、ハケット氏の発案によってつくられたと言われています。日米関係の悪化により1941年に帰米しましたが、終戦後再び来日したハケット氏は、今度は国際基督教大学の創設に初代財務担当副学長として関わり、主任建築家に選任されたヴォーリズ氏と時を経て再び協働する機会を得たのでした。
受講者からは「ハケット氏については初めて聴く話ばかりで、興味深かった」、「この岡田山に学校を作られた方々の物語がリアルに感じられ、熱意と覚悟が伝わってきた」などの感想が寄せられました。
スペイン・マドリッド県のエル・エスコリアル宮殿について解説いただきました。フェリペ2世によって建てられたもので、聖堂を中心にして宮殿と修道院がある、非常にユニークな建物です。フェリペ2世は、父カルロス1世が獲得した領土を引き継いだだけではなく、新たにポルトガルの王位も継承するなど、莫大な富と権力を手に入れました。彼がこのユニークな宮殿を建てた理由は、建物の美術装飾を見ていくことで解明されるそうです。
まず天井のフレスコ画は、三位一体を頂点として死後の救済が描かれています。主祭壇の絵は、画家を交代させて描き直しを命じたほど、フェリペ2世のこだわりが見られるそうです。その下にある聖櫃は、聖体が納められている場所で、さらにその下の地下には、王室墓所があります。死後の救済を求めてここから天井へと昇っていく構造に、一族の救済の祈りが読み取れるとのことです。
一方、この建物にはフェリペ2世の寝室もあります。寝室は聖堂から通路で直結した場所にあり、枕元から祭壇が見えるようになっています。通路の途中には個人礼拝堂があり、ティツィアーノの《十字架を担うキリスト》が飾られ、王は毎夜ここで過ごしたと言われているそうです。
このようにこの宮殿は、世界の海を支配した権力者フェリペ2世が、死を思う祈りの空間として建てられたと言えるとのお話でした。
「世界史も含めてのお話で分かりやすかった」「フェリペ2世と日本の使節との関わりが面白かった」「ぜひ訪ねてみたいです」などの感想が聞かれました。
レオナルドの《最後の晩餐》を中心に、ミケランジェロやラファエロも活躍した「盛期ルネサンス」(1490年代半ば~1520年頃)について講義いただきました。
フィレンツェで生まれたレオナルドは、故郷の画家の元で修行を始めましたが、絵画だけではなく、自然科学、工学、解剖学など様々な分野、特に水や空気などの流体に深く興味をいだいたそうです。やがてミラノ領主の保護を得て数々の作品に取り組みました。その一つが、1495年頃に修道院の食堂に描いた《最後の晩餐》です。透視図法、左右対象、三角形の構図を用いて、ルネサンス芸術の理想を実現したものの一つとされているとのお話でした。
レオナルドのもう一つの代表作《モナリザ》は、スフマート技法を繊細で優美に完成させたものだそうです。透明度の高い絵の具の層を塗り重ねて、色彩のわずかな変化を描く技法で、あいまいな表情の移ろいを表現することが可能となりました。その結果「謎めいた笑み」を生み出しているそうです。
参加者からは「誰でもが知っている芸術家、作品についての岡田先生の解説がとても楽しかった」「先生のおかげで、名画が私の中で本当に価値ある作品となった」などの感想が聞かれました。
朱雀院は病気を患い出家しようとしますが、後ろ楯のない愛娘女三の宮の将来を心配し、
娘を弟の源氏に託します。源氏は兄の懇請を拒み切れず女三の宮を妻として六条院に迎え入れましたが、そのことで紫の上は深く傷つきます。
春の六条院では夕霧や柏木など若い公達が集まって、華やかな蹴鞠の宴が催されていました。
偶然にも唐猫のいたずらによって御簾が引き上げられ、女三の宮の姿があらわになってしまいます。
かねて女三の宮に思いを寄せていた柏木は、この垣間見によって思慕の念をますます募らせるのです。
六条院は、この世のすべての成功を手にした光源氏の、栄耀栄華を象徴する場所でした。
しかし、柏木の一方的な情熱がその絶対的安定感を揺るがします。
光に満ちた世界に陰りが差し、六条院の栄華は根底から覆されていくことになります。
やがて光源氏は自らの罪深さと因果応報の節理に直面せざるをえなくなり、苦悩に満ちた晩年期へと
向かっていきます。
これから起こる悲劇を予感させ、作品全体のスリリングな転換点となっているこの場面は、
「源氏物語」の中でも屈指の名場面と言えるでしょう、とのお話でした。
受講者からは、「臨場感にあふれた解説で大変勉強になった」 「とてもわくわくした。自分で読むだけではこのような深堀りはできない」 「今だからわかる古典の奥深さを知った」などの声が寄せられました。
今回で錦田先生のご講義は最後となりました。長い間ありがとうございました。 当初10月6日(金)に予定されていた第5回は、講師のご都合により11月17日(金)に
代替開催となりました。
『須磨』では、父・桐壺院が亡くなり政敵からの圧迫が強くなる中、
さらに右大臣の娘・朧月夜との仲が発覚します。追い詰められた光源氏は、自ら都を離れ須磨に退去。畿内西端での男所帯の侘び住まいで、光源氏も男性従者も望郷の思いを募らせます。
『明石』では、連日の荒れ模様の中、嵐が鎮まるよう住吉の神に祈りますが、落雷で邸が火事に見舞われます。<嵐が収まりまどろむ光源氏の夢枕に桐壺院が現れ、須磨を離れ都に戻るよう告げます。翌朝、夢のお告げと言って小舟で迎えに来た明石入道に導かれ、明石に移ります。
(その後、光源氏は入道の娘・明石の方と結ばれ姫君を授かり、帰京後は順調に昇進し、雅やかな栄華の時代を迎えるのです。)
都での若き日は、母性を追い続けるも満たされず、女性たちの間で過ごした優美で不確かな青年期であり、須磨での男所帯の侘び住まいは、後の成熟した壮年期を迎えるための転換期として重要な意味を持つと言えるでしょう、とのお話でした。
受講生全員による音読は、コロナ下では控えていましたが、今回久しぶりに行うことができました。受講生からは、「もう一度教科書を復習してみます」「身近な場所が舞台なので、興味深かった」「先生の朗読は流れるようで分かりやすかった」などの声が寄せられました。